HOME > 万作の会とは > 狂言まめ知識

万作の会とは

狂言まめ知識

 登場人物
イラスト:野村葉子
太郎冠者

太郎冠者

狂言の中のスーパースター的存在。
職業としては主人や大名に仕える家来で、曲により小賢しかったり、健気だったり、しっかり者だったり、おろかだったりとさまざまな性格を持つ。
どんな状況でも生き抜くたくましさと愛嬌に溢れ、一生懸命なほど滑稽に見えるという、狂言そのものを象徴するようなキャラクター。
山伏

山伏

山野で修行を重ねる仏教の修験者。
「野に伏し山に伏し、あるいは岩木を枕とし、難行苦行捨身の行いをするによって、その奇特には、今目の前を飛ぶ鳥も、祈り落とす程の行力」を得たと自称するが、狂言ではその力を発揮できずに失敗することが多い。
山女

山女

狂言に登場する女性たちは、強くたくましくバイタリティに富んでいる。
「わわしい女」と呼ばれる彼女たちは、「ええ、腹立ちや腹立ちや」と怒りを爆発させつつ、頼りにならない夫を支える健気な存在。
愛あればこそのわわしさなのである。
曲のあらすじ
悪太郎(あくたろう) 
乱暴者の悪太郎は、酒を飲むことを非難する伯父を脅してやろうと、長刀を携えて出かけていく。ところが、そこでも散々酒を飲み、良い機嫌になると、帰る道すがら寝込んでしまう。 あとをつけた伯父は、道端に寝ている悪太郎を僧形にし、「今後は南無阿弥陀仏と名付ける」と言い渡して去る。目を覚ました悪太郎は、伯父の言葉を仏のお告げと信じこみ、仏道修行することを決心するのだった。そこへ出家が念仏を唱えながら通りかかり…。
悪人正機(悪人こそが仏に救われる対象であるということ)をユーモラスに描きます。前半の大酒を呑むところも、終末の悟りに至る様態とともに見どころの一つです。
内沙汰(うちざた) 
お百姓の右近は、伊勢講が成就したので一緒に参宮しようと妻を誘うが、妻は歩いて行くのはいやだと言う。そこで右近は、左近の牛が自分の田の作物を食べたので、その代償に牛をもらい、それに乗っていけばいいと言い、早速、妻を相手に訴訟の稽古を始める。しかし、もともと口下手なうえ気の小さい右近。自分の訴えをうまく言えず、地頭役の妻に厳しく責め立てられるうちに…。
狂言ならではの、か弱い夫とわわしい妻の真に迫る裁判ごっこ。結末は如何に。大蔵流では「右近左近(おこさこ)」という曲名です。
岡太夫(おかだゆう) 
舅は聟入りにやってきた男に、蕨餅を振る舞い、これは岡太夫ともいい、おめでたい時に食べるもので、娘の好きな朗詠集にも詠まれていると教える。大層気に入った男は、帰宅すると、早速、妻に作らせようとするが、肝心の名前が思い出せない。妻に朗詠集の詩を次々にあげさせるが、目指す名前はなかなか表れず、いらだった男は…。
あの名前が思い出せない! これは、いつの時代にもあったことのようですね。豊かな言葉遊びの世界をお楽しみください。
鬼瓦(おにがわら) 
長らく在京した遠国の大名が、訴訟も済み帰国することになったので、太郎冠者を連れて、因幡薬師へ御礼の参詣に出かける。この薬師を国許へ勧請したいと思う大名は、堂の造作をみて回るうちに、屋根の破風(はふ)の上の鬼瓦に目がとまる。それに、例えようもない懐かしさを感じた大名は…。
なにか物を見て、誰かを思い出す。そういうこと、割とよくありませんか?この演目もそういった単純な構成ですが、ほのぼのとしたユーモアにあふれています。
柿山伏(かきやまぶし) 
修行をして帰国途中の山伏が、のどの渇きをおぼえると、ちょうど道端に柿の木を見つける。取ろうとするが、手は届かず、石を投げても当たらない。とうとう柿の木に登って食べ始めてしまう。おりしも、見回りに来た畑主は、木陰に隠れた山伏を見つけ、腹を立てつつも、からかってやろうと思い立つ。犬だ、猿だと次々に鳴きまねをさせられた山伏。遂には鳶だといわれると…。
学校狂言でもおなじみの演目です。何もない舞台に柿の木が出現!!
隠狸(かくしだぬき) 
太郎冠者が内緒で狸を捕っているという噂を聞いて、主人が問いただすと、冠者は捕ったことなど無いとしらを切る。そこで主人は、すでに客を招き、狸汁をふるまうつもりなので、市場で狸を買ってくるよう命じる。実は昨夜も、狸を捕えた冠者は、主人に内緒で売ってしまおうと市へ出かけるが、様子を見に来た主人に見つかってしまう。狸を隠して取り繕うのだが、主人に酒すすめられ、興にのって舞ううちに…。
和泉流の専有曲で、太郎冠者物の代表的な作品です。主人と冠者の駆け引きが見どころ。「兎」「花の袖」「鵜飼」と小舞もたくさん挿入されています。
清水座頭(きよみずざとう) 
一人の瞽女(ごぜ)が身の行末を案じ、良い夫をもちたいと清水の観世音で参籠していると、そこへ座頭が一人、これも妻乞いのため参籠にやってくる。そこで座頭は瞽女にけつまづき、お互いに相手の不注意をなじるが、どちらも盲目とわかり仲直りし酒を酌み交わす。その夜、夢のお告げを受けた二人は、それぞれ西門へ行くと…。
座頭物でありながら、ほのぼのとした余韻のある名作です。座頭の謡う「平家」、瞽女の謡う「地主」(じしゅ)をご堪能ください。
首引(くびびき) 
狂言ではめずらしく実名で登場する、豪傑・鎮西八郎為朝の話。播磨の印南野を通りかかると、親鬼が現れ、娘に人間の食い初めをさせたいと言う。姫鬼は親に教えられたとおり、為朝に襲いかかるが、鬼の割にはひ弱な娘。逆に叩かれ泣き出してしまう。為朝は姫鬼と力比べをして、負けたら食われることにしようと提案。次々と勝負をするのだが…。
鬼の世界でも父は娘がかわいいらしい。登場する三つの力比べは、実際に中世で行われていた遊戯だそうです。
小傘(こがらかさ) 
田舎者が村に草堂を建立したが、堂守がいないので街道に出て探していると、そこへ僧と新発意がやってくる。早速連れて帰るのだが、実はこの二人、博奕で食いつぶした主従だった。法事が始まり、僧は賭場で聞き覚えた傘の小歌をお経のように唱えて参詣人をごまかして、その隙に新発意に施物を盗ませようとするのだが…。
中世ののどかな様子が窺い知れるおかしみのある曲です。
財宝(さいほう) 
三人の孫が、財宝という名の祖父に烏帽子親になってもらい、元服名をつけてもらおうと出かけていく。祖父は孫たちを「嬌あり、冥加あり、面白う」とそれぞれ名づけ、しっかり名前を覚えるよう言いつけるのだった。
財宝という祖父の名も、祖父がつけた孫たちの名前もちょっとおかしなものですが、昔はおめでたい名をつけるという慣習があったようです。拍子にのって囃すところが、にぎやかで楽しい演目です。
薩摩守(さつまのかみ) 
天王寺へ参詣途中の坊主。無一文で飲んだ茶の代金すら払えない。この先の神崎の渡しで必ず船賃をとられると聞くと、あきらめて帰ろうとする始末。気の毒に思った茶屋の亭主は、渡し守は秀句(しゃれ)好きなので、船賃代わりにただ乗りできる秀句を教える。坊主は嬉々として渡しへ向かい舟に乗るのだが…。
貧乏坊主のただ乗りは成功するのか? 言葉遊びもさることながら、棹一本で舟の上を表現する演技は、狂言独特の技法です。
三人片輪(さんにんがたわ) 
体の不自由な者を召し抱えようという有徳人のところへ、無一文の博奕打が三人やってくる。それぞれ巧みに装ってまんまと召し抱えられることに成功する。主人がそれぞれに仕事を命じ外出すると、三人はいつもの姿に戻って酒蔵に入り酒盛りを始めるのだった。そこへ主人が帰ってくると、あわてふためいた三人は…。
最近では上演されることが少なくなりましたが、酒盛りの場面の三人三様の小舞は圧巻です。
止動方角(しどうほうがく) 
茶比べに出ることになった主人は、太郎冠者を呼び出し、伯父のもとへ行って茶ばかりか、太刀や道中に乗る馬まで借りてこいと言いつける。太郎冠者が苦心の末、すべてのものを借り整えて帰路につくと、待ちあぐね途中まで迎えにきた主人と出くわす。ところが主人は、労をねぎらうどころかさんざんに叱りつけ、即座に馬に乗ってしまう。実はこの馬には、とんでもない悪癖があったのだった。太郎冠者が馬の後ろへ回り、咳をすると…。
たまりにたまったうっぷんをここぞとばかりにはらす太郎冠者の姿には、爽快な気分が味わえるのではないでしょうか。
宗論(しゅうろん) 
身延山帰りの法華僧と善光寺帰りの浄土僧が、たまたま道連れになる。互いに犬猿の仲の宗派と知り驚くが、それぞれが自分の宗派に改宗しろと言い争いを始める。嫌気がさした法華僧は、口実を設けて別れようとするが、浄土僧は離れない。たまらなくなり宿に逃げ込むと、浄土僧も追って入り、今度はそこで宗論を始める。互いに珍説法でけなし合うが、共にあきれて寝入ってしまう。翌朝、目覚めた二人は、今度は読経争いを始める。両者次第にむきになり、踊念仏、踊題目で張り合っているうちに…。
軽妙洒脱で優位に立つ浄土僧と頑固で強情な法華僧を対比し、無学な僧侶をユーモラスに描いています。
素袍落(すおうおとし) 
急に伊勢参りを思い立った主人は、以前から同行を約束していた伯父をとりあえず誘っておこうと、太郎冠者を使いに出すことにする。そして、餞別をもらうと土産が大変だから、伯父に聞かれても供は決まっていないというように命じる。伯父は、急なこととて同行を辞退するが、太郎冠者が供をするであろうと察して、門出の酒を振る舞い、餞別に素袍まで渡すのだった。太郎冠者は上機嫌で帰路につくのだが…。
明るく屈託のない太郎冠者の酔いっぷりをお楽しみください。
鱸庖丁(すずきぼうちょう) 
仕官したお祝いのため、叔父から鯉を買ってくるよう頼まれた甥。そのことを忘れていたから、さあ大変!仕方なく適当にごまかそうと思い、「買った鯉を淀川の杭につないでおいたら、かわうそに食われてしまった」と嘘をつく。叔父は甥の嘘に気づくが、そのことは怒らず、何食わぬ顔で逆に鱸をごちそうしようと言う。
叔父と甥の嘘合戦。シテの華麗なる庖丁さばきで、どんなお料理ができますやら、とくとお楽しみください。
宝の槌(たからのつち) 
主人は太郎冠者に、宝比べのための宝物を都へ行って求めてこいと命じる。都にやって来た太郎冠者が大声で宝物を探していると、ある男が蓬莱の島の鬼が持っていたという打出の小槌を売りつける。望むものは何でも出せると言われ、すっかり信じた太郎冠者は、屋敷に戻ると主人の前で、早速馬を出すべく呪文を唱えるのだが…。
失敗した時は、言い訳が肝心?太郎冠者の発想にご注目ください。
通円(つうえん) 
東国の僧が、都見物をすませ奈良へ向かう途中、宇治橋のたもとに着く。そこには、人もいないのに茶湯と花が供えられた茶屋があるので、不思議に思い辺りの人に尋ねると、昔、通円という茶屋坊主が宇治橋供養の時に茶を点てすぎて死んだ跡だと語る。僧が弔うと、通円の幽霊が現れ、自分の最後の有り様を舞い、供養を頼んで消え失せる。
能「頼政」をパロディ化した「舞狂言」として名高い作品で、全体に洒脱さと、一種悲壮感の入り交じった独特の雰囲気があります。
鈍太郎(どんたろう) 
三年ぶりに西国から戻った鈍太郎は、早速、下京の妻と上京の女のもとを訪ねるのだが、久しく留守にしていたため、二人とも本当の鈍太郎だと信じない。落胆した鈍太郎は、ひとり修業の旅に出ようと決心するのだが…。
二人の女の手車に乗って得意げに浮かれる鈍太郎。中世の生活の様子が垣間見られる古作の狂言です。
鍋八撥(なべやつばち) 
所の目代が新しく市を立てるのに際し、一番最初の店についた者をその市の代表と認め免税するという高札を出す。それを見て夜明け前に一番乗りした鞨鼓売りが、ひと寝入りしていると、一足遅れて浅鍋売りがやってくる。先を越された浅鍋売りだが、一番乗りのふりをして鞨鼓売りの傍らに寝入る。目を覚ました鞨鼓売りはびっくり仰天!自分こそが一番と二人は言い争いになる。そこへ目代が仲裁に入るのだが…。
さてさて、どちらに軍配が挙がるのでしょうか。鞨鼓売りの動きに注目を!
縄 綯(なわない) 
博奕好きの主人が大負けしたため、太郎冠者が借金のかたとして差し向けられることになる。何某方へ着いて真実を知った太郎冠者は、つむじを曲げ、全く仕事をしようとしない。もてあました何某は、主人に掛け合い、いったん冠者を返すことにする。大喜びで帰宅した太郎冠者は、主人に命じられるまま縄を綯うのだが…。
お調子者太郎冠者の徹底的な悪口雑言。お聞き逃しなく。
仁王(におう) 
博奕で負けつづけた博奕打が、財産も尽きてしまったので知人に相談すると、知人は仁王になりすまし、参詣人から賽物をだましとることを提案する。早速仁王の相を作って待っていると、期待通りに参詣人が次々とやってきて、さまざまな願い事をかけては供え物を置いていく。味をしめた博奕打がさらに参詣人を待っていると、やってきたのは足の悪い男。男は足がよくなるようにと願いを込めて、仁王の体を撫で回す。あまりのくすぐったさに恐ろしい仁王の顔はゆがみ…。
仏が天下ったという中世霊験譚を狂言化した作品です。仁王に化けている姿はなんともおかしい。
ぬけがら 
主人に使いを言い渡された太郎冠者は、たっぷりと酒を振る舞ってもらうと、上機嫌で出かけていくが、途中酔いが回って道端で寝込んでしまう。心配して後をつけてきた主人は、太郎冠者を見つけ、懲らしめのために鬼の面をかぶせてしまう。目を覚ました太郎冠者は水を飲もうとしてびっくり仰天! そこに映ったのはまぎれもない鬼の顔…。
浮かれたり悲しんだり、太郎冠者の心境の変化が余すところなく表現された佳作です。
博奕十王(ばくちじゅうおう) 
近頃、極楽往生を約束する宗教の流行で、地獄に落ちる罪人が少なくなり、閻魔大王自ら、死者を地獄へ責め落とそうと六道の辻までやって来る。そこへ博奕打がやって来て裁きを受けるのだが、筋金入りの博奕打は、言葉巧みに博奕のおもしろさを説き、閻魔大王と鬼たちをサイコロ博奕に誘うのだった。
大きな賽の目を固唾を飲んで見守る閻魔大王と鬼たち。賭博に熱くなるのは、誰でもどこでもいつの時代でも同じ!?
花子(はなご) 
洛外に住む男のところへ、以前、美濃国野上の宿でなじみになった遊女の花子が、都に上ってきているので逢いたいと手紙をよこす。男はなんとかして逢いたいと思うのだが、妻の目がありままならない。そこで妻には、持仏堂で一夜座禅をするので、決してのぞきにくるなと偽り、太郎冠者に座禅衾をかぶせ身代わりにすると、花子の元へ飛んでいく。やがて夫の様子を見に来た妻が、窮屈そうだと衾を取り去ると、そこにはおびえた太郎冠者が! 激怒した妻は、太郎冠者の代わりに衾をかぶって夫の帰りを待つことにする。そうとは知らない男は、上機嫌で帰宅すると、花子との逢瀬の一部始終を語って聞かせ…。
技術的にも「釣狐」と並び、最高秘曲とされている難曲です。花子との逢瀬を語る後半は、小歌を多用し、シテの独演となります。
二人大名(ふたりだいみょう) 
二人の大名が、供を連れずに外出したので、通りがかりの男を脅してむりやり太刀を持たせる。怒った男は、大名が油断したすきに太刀を抜き、二人の小刀、素襖(すおう)を取り上げ鶏や犬のまねをしろと言う。さらに、起き上がり小法師のまねをするよう命じると、大名たちは、小歌を謡いながら次第に興に乗ってまねをするのだった。すると男は…。
下克上の時代を感じるなぶられる大名たちの、次第に置かれた状況を忘れ、楽しく謡い続ける様子は笑いを誘います。
舟ふな(ふねふな) 
主人が太郎冠者を連れて西宮見物に行く途中、神崎の渡しにさしかかる。そこで冠者は、舟を「ふなや−い」と呼ぶので、主人は「ふね」と呼ぶようたしなめる。すると冠者は、古歌をひいて「ふな」が正しいとやり返す。主人も古歌で応酬するのだが、同じ歌しか思い浮かばず…。
小賢しい太郎冠者を扱った小品で、軽妙な味わいがあります。
餅酒(もちさけ) 
加賀のお百姓が、大雪のため先延ばしにしていた年貢の菊酒を納めるために上京する途中、同じく去年の年貢の鏡餅を納めに行く越前のお百姓と道連れになる。二人は首尾よくそれぞれの年貢を納めるが、延引の罰として、歌を詠むよう命じられる。二人は必死になって歌を詠み、なんとか成功。その褒美として万雑公事を免除される。あまりの嬉しさに大声をあげてしまうのだが…。
お酒と鏡餅、まさにお正月らしいめでたさを感じる演目です。
八尾(やお) 
六道の辻までやってきた罪人が、そこで出会ったのは地獄の閻魔。近頃の人間は、みな極楽へ行くので、地獄は今や大飢饉。閻魔は、自ら罪人を地獄へ責め落とそうとするのだが、罪人に差し出された手紙を読むと…。
この演目は、狂言唯一の読物というジャンルのものです。演者と地謡、囃子方の共演をお楽しみください。
八幡前(やわたのまえ) 
岩清水八幡宮の下に住む長者が、一芸に秀でた者を娘の聟にしたいと高札を立てる。それを見た若者は、我こそはと思い立つが、肝心の芸が何もない。付焼刃でどうにかしようと、知り合いのところへ相談に行くののだが、さてさてどうなることやら…。
物事そう簡単にはうまくいかないものです。若者の奮闘にご声援ください。
弓矢太郎(ゆみやたろう) 
常に弓矢を携えた太郎は、臆病者のくせに、何でも射るとおおいばり。仲間たちは、そんな太郎を脅してやろうと相談する。太郎は仲間から天神の森に鬼が出ると聞いて目をまわすが、息を吹き返すと性懲りもなくまたもや腕自慢を始めるのだった。そこで肝試しに、天神の森の老松に扇をかけてくることになるのだが、さてさてその結末は…。
逆転に次ぐ逆転、変化に富んだ演目です。最後に笑うのは誰?
六地蔵(ろくじぞう) 
田舎者が、地蔵堂へ六地蔵を安置しようと、都へ仏師を探しに行く。そこへ現れたすっぱは、自分こそがその仏師であると偽り、翌日までに六地蔵を作ってやろうと約束をする。田舎者と別れたすっぱは、仲間を呼び出し、地蔵に化けて田舎者をだますことにする。翌日、田舎者が地蔵を受け取りにいくと、地蔵は三体しか見当たらない。もう三体は、別の場所にあるとすっぱは言うのだが、どうやら様子がおかしい。さてその結末は…。
朴訥とした田舎者をだまそうと、都人すっぱが、舞台・橋懸かりをかけ回る明るくにぎやかな狂言です。いきいきとした中世の息吹が感じられます。